新フィリピン大使の祖父は大東亜会議に出席した!

駐日フィリピン大使ホセ・C・ラウレル閣下と鈴木信行

駐日フィリピン大使ホセ・C・ラウレル閣下と鈴木信行

週末となった22日の夕方、新たに着任した駐日フィリピン大使ホセ・C・ラウレル閣下を歓迎する在日フィリピン団体のパーティーに出席した。

会場となったホテルは南麻布のニュー山王ホテルだ。このホテルは米国海軍の管理下にあるホテルだ。旧山王ホテルは占領期にGHQに接収されたホテルである。

ホテルの入り口は米軍基地のように車止めがあり、パスポートを提示してゲートを入った。

ホテルの中も日本らしくはない。ホテルは一般人は泊まれないのだ。米軍関係者のためのホテルだから当然だ。

バーの奥にはスロットマシンが並ぶ部屋があった。確かにここは米国なのだ。

新任のラウレル大使の祖父は日本と共に大東亜戦争を戦い、大東亜会議に出席したホセPラウレルフィリピン共和国第3代大統領だ。因みに父はコラソン・アキノ政権時の副大統領だ。

祖父のラウレル元大統領は、終戦後の戦犯指定により横浜刑務所、巣鴨拘置所に収監され、132件の反逆罪で訴追された。

昭和23年(1948年)4月にマニュエル・ロハス大統領の恩赦を受け政界に復帰した。

ラウレル新大使は、日本とは深い縁がある人物である。

デュテルテ大統領の人事で、大統領の対日好感度が分かるというものだ。

大東亜会議に出席した国と代表は以下。

日本:東條英機内閣総理大臣

中華民国(南京)国民政府:汪兆銘行政院長

満州国:張景恵国務総理大臣

フィリピン共和国:ホセ・ラウレル大統領

ビルマ国:バー・モウ内閣総理大臣

タイ王国:ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)

インド:自由インド仮政府首班チャンドラ・ボース

パーティーの始りは厳粛な儀式で始まったのだが、終わりは総ダンスパーティーとなった。これがフィリピン流儀らしい。大使閣下の前でも陽気な流儀を貫いている。

総領事やフィリピン外務省高官が挨拶してから真打登場でラウレル大使が登壇し挨拶した。

英語のスピーチで笑いを取りながらのスピーチは政治家一族に生まれた天性の話術だろう。

ラウレル大使の周りは人だかりができていたのだが、空いたときを見計らって在日フィリピン団体の会長にラウレル大使を紹介して頂いた。

ジャズシンガーのマリーンが2曲披露してくれた。

ジャズシンガーのマリーンが2曲披露してくれた。

途中からステージでバンド演奏と歌で盛り上がり、ステージ前はダンススペースとなった。

ジャズシンガーのマリーンが2曲披露してくれた。

後は歌とダンスが延々に続いた。

5月には葛西臨海公園で海洋アジアの絆アセアンフェスタを開催する。6月には上野恩賜公園でフィリピンとタイアップして海洋アジアの絆フェスタを開催する。

日本と台湾とフィリピンのラインは戦略的に重要な海上ラインだ。大陸の軍事力が自由に太平洋に出ることができない海上ラインだ。もし中共がフィリピンを押え南シナ海を支配すれば、自然にインドネシアを影響下におく事となる。海洋国家である日本は貿易上も安全保障の観点からも譲れない防衛ラインなのだ。

フィリピンは大東亜戦争中に最も多くの戦死者を出した激戦地である。首都マニラで唯一の市街戦を戦い、戦死者は支那大陸全体よりも多かったのだ。フィリピン国民も多く亡くなっている。終戦当時に反日感情が大きかったのも頷ける。

会場の様子

会場の様子

だが、歴史的にも敗戦後の日本が国際社会に復帰際に、戦場となった東南アジア諸国との間にプロボクシング交流を通じて引き入れてくれたのはフィリピンとタイである。

もちろんフィリピンとタイは戦後の独立戦争を経ていない。近隣諸国は戦後になり旧宗主国との間で独立戦争を戦った。昭和20年代に多くの日本人が東南アジアの独立戦争に参戦している。

今も昔も海洋国家日本にとっては重要な拠点であり、歴史的もかかわりが深い国がフィリピンなのである。

(公式ブログより)