尖閣諸島上陸敢行、飛行機で物資投下の大平光洋先生逝く! 志を受け継ぐ!!
平成30年4月29日午後11時過ぎ、日本国民党本部顧問の大平光洋先生(国際武道大学理事)がご逝去なされました。享年85歳、法名は威光院釋剛真。
謹んでお悔やみ申し上げます。
4月29日午後2時過ぎに大平先生の奥様から、午後6時30分に済生会病院に来れば入院中の先生とお会いできると電話があった。
すぐに頭山立国先生に電話して一緒に病室に行った。頭山先生と鈴木信行は病室で眠る大平先生に話しかけたが、きっと聞こえているが返事はなかった。その日の夜11時過ぎに訃報を知らせる電話があった。
大平先生は慈父の如く、いつも鈴木がやりたいことを応援してくれた。
平成24年に韓国ソウルに勇気をもって飛べたのも、鈴木がソウルで逮捕されても大平先生が見捨てないだろうとの気持ちがあったからだ。鈴木が窮地の時も信じて迷わず支援してくれた。
アジアの連帯を目指す「大洋社」も大平先生が会長で鈴木が副会長なので、今後は鈴木が会長に就任して志を引き継ぐ。
アセアンフェスタを開催している国際親善団体「海洋アジアの絆」を立ち上げ、ここまでやって来れたのも、大平先生と昨年亡くなった故玉利斉先生のおかげである。
玉利先生はボディビルの草分けで、三島由紀夫氏にボディビルを教えたボディビル界のレジェンドである。
大平先生はメルボルンオリンピック重量級で入賞されたレスラーだ。精神的も肉体も強い方なのだ。
空手の大山倍達氏と柔道の猪熊功氏とレスリングの大平光洋先生の3人が腕相撲して、一番強かったのが大平先生だったと聞いたことがある。
日本レスリング界に対する貢献に加え、昭和53年に中国が尖閣諸島侵略を虎視眈々と狙い始めたころに、日本人による尖閣諸島の上陸作戦を敢行され、民族派の尖閣諸島の魚釣島上陸と滞在を支援した。
先生は自分でセスナ機に乗り込み、魚釣島に籠城する人に食糧を投下したのだ。
石油産業にも寄与された先生から産油国との、ここでは語れない話などもワクワクしながら聞かせていただいた。
国事に奔走されることのみならず、日本国民党結党はもとより、鈴木信行の個々の政治活動など数多くご支援頂いたのだ。
5月5日と6日、大平光洋先生の通夜・告別式に、鈴木信行以下、党員有志一同で謹みて葬儀をお手伝いさせて頂いた。
(公式ブログより)